このエアライフルの設計、及び開発者は、パクダ・ソーンヤナイとされている。彼は当時、総合兵器管理部という風銃を始めとした各種兵器の開発・製造を任される中央軍事基地の部署に所属する研究員だった。
だが、実のところ、パクダは当時北域に出向していた、変わり者として知られた高等士官候補生から設計図を預かったに過ぎなかった。それを見たパクダが、結果はどうあれ作るべき価値があると考え、試作品を制作したのだ。
もちろん、彼も当初は自身の設計でないことを明かすつもりでいた。だが、彼はその前に、士官候補生から頼まれた約束を果たす必要があった。それは試用品を最初に提供するのを、その候補生の部隊にすることだった。
それは越権行為であり、上官に願い出ることは、パクダにとって勇気のいることだった。そしてそれを成し遂げた途端、パクダは完全に忘れてしまった。自分が持ってきた設計図の製作者を、明かすべきかどうかという葛藤を。
かくして、エアライフルの発明という偉業は、その後、永遠にパクダ・ソーンヤナイの名前と共に語られることになったのだ――。